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晴れ時々Fe 2

鉄道と鉄道風景写真やアジアの旅行記などをやっています。

今年1年ありがとうこざいました。


 早いもので、今日はもう大晦日。

 年を経るごとに1年が早くなってきています。
 学生の頃、卒業した先輩から

 「社会人になったら1週間経つのが早いぞ」

 と言われていました。それから長い年月を経て、もう1週間単位ではなく1年単位で時間が経つのが早くなって来ています。
 坂道の上でポールをころがしたら、段々と加速がついてきて速くなるといったイメージでしょうか。

 今年は、長時間に亘って家を空けることが難しい1年でした。それでも合間を見てチョコチョコと出かけました。

 このブログに来て見てくれる方々に、納得がいく作品と言って頂けるものが、沢山撮れたかは、いささか自信がありません。
 そのような状況でも見てくれて、またコメントをくれる方々に心から深く感謝いたします。

 来る新年、皆様の健康と仕事そして趣味が上手くいくように祈って、本年最後のアップといたします。

 今年1年本当にありがとうございました。どうぞ、来年もよろしくお願い致します。

 写真は、2009.9.20 大糸線にて

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水仙(友人への追悼)


 いよいよ残すところも、あと僅かになりました。

 そんなバタバタしている中で昨日夕方に訃報が舞い込みました。

 小・中学からの友人。伝え聞くところによると死因は心筋梗塞らしい。あっという間に逝ってしまったのだろうか。
 エネルギッシュな人で、タフなお母さんタイプの人だった。最近は、同期会実行委員会で顔を合わせることが多くて、信じられない気持ちだ。

 呑み会などでは、世代的にいっても「健康について」が話題になるが、ここまでのことは予期していない。本当は予期しなければならないのだろうが、漠然とまだ当分の間は、このままで生きていけると信じている。

 今まで様々な理由で何人かの同期生が亡くなっているが、同じ歳なのでショックだ。そのたびに自分の生き方を問われているような気になる。

 さすがにここまで年の瀬が迫ると年内は無理で、葬儀関係は年明けからとなった。葬儀から1年がスタートするのか。うむ~。

 彼女の冥福と、これを読んでくれた方の健康を、この年末にお祈りいたします。

 どうぞ、よいお正月・よい年をお迎え下さい。

登場当初の3000形


 シート考察で、ボヤいてしまった3000形。

 そう言えば、顔のイメチェンをして印象が変わってしまったものもこの3000形。変わってからの方が長くなってしまったので、以前のものを見ると新鮮な感じがするのは皮肉なものです。

 人生で初めてのデジ一眼を購入したのもこの頃だった。導入したのは初代キスデジ。これはその導入直後の写真。適切なレンズが無くて四苦八苦していたっけ。
 3秒ルールや6コマルールも懐かしい思い出だ。

追記:3262F

 2003.10.25 狛江

 
 
 

シート考察


 2009年12月25日、クリスマスの日だ。

 その日の夕方5時半頃、私は仕事帰りで新宿駅にいた。
 クリスマスムードとは異なる雰囲気が、小田急線改札付近には漂っている。

 ?

 百合ヶ丘駅で人身事故のため小田急線が止まった。ホームでは駅員が、ハンディマイクで一生懸命に事故のことを伝え、

「急行はいつの発車になるかわかりません。各停が向ヶ丘遊園折り返しで運転しています。そちらをご利用になるか、振り替え輸送をご利用下さい」と叫んでいた。

 地下ホームへ行くと先発が2000形、次発の3000形が待っていた。迷わず先発へ。先頭車両だったこともあり、比較的空いてはいたが席は埋まっていた。各停らしく(?)代々木八幡で座ることが出来た。先頭車両の一番前シートなので指令からの無線チャイムがバンバン聞こえてくる。状況は刻々と変わっているようだ。途中途中で運転間隔調整とかで待たされる。

 成城で、運転再開との報がはいり「この電車は、その先まで行く可能性があります。乗ってお待ち下さい」と。結局向ヶ丘で、本厚木行きに変更になりそのまま柿生へ。

 1時間以上も座り放し。これが3000形だったらもっとお尻が痛くなっていただろうと、あらためて2000形のシートを見直した。
 行きに乗ったのは4051F。こちらも座れたのだがシート形状が3000形と異なり、お尻をシートに落とし込み、ふとももの下で保持するようになっていた。つまりシート端がやたらと堅く違和感だらけ。

 だが、昭和34年頃に登場した2400形(HE車)の座り心地に最新の工学技術で作られたものが負けるのはなぜなんだろう?
 あの当時は、そんな大それた工学なんてものではなかった。普通に作られたシートだった。もっとも、まぁ、その後の2600形(NHE車)のシートはダメだったが。

 人間工学の粋を集めたであろうシート形状がコロコロ変わったり・快適でなかったりするのは、まだその工学とやらが完全ではないためだろうと思わざるを得ない。

 しかし、あの20分でお尻が痛くなる3000形のシート、どうにかなりませんかねぇ。廃車まであれだったらヤダなぁ。

 写真は、シートを見直した2000形。

 2009.11.1 読売ランド-百合丘

ナメクジ形、D51 70


 流線型が流行っていた頃の名残であろうか。

 あの有名なC53の流線型ほどではないが、D51にも空気抵抗を減らすような流線型タイプがいた。
 (若い人は、知らないかもしれませんね(汗))

 煙突からキャブまで上部をカバーした22・23号機の他に途中までカバーした半流タイプもあり、その形状から別名ナメクジと呼ばれていた。

 22・23号機は早々に廃車になり見ることがなかったが、この半流タイプは多くが残っていた。
 ちなみに一次形と言われ1~85、91~100号機迄がこれに相当している。発注の関係だったのだろうか標準型が途中に含まれるのが面白い。

 蛇足だが二次形・標準型と呼ばれるタイプは、今も走っているD51489などの形状。そして三次形と言われる戦時設計のものであった。
 このほかにも細かい仕様違いや改造もあったが、おおまかにはこの三つ分類されていた。

1972.8.21 千歳線 苫小牧-植苗

Ps.いよいよネタが無くなってきたゾ。今しばらくネタを仕入れに行けないし……困ったナァ。

ウトナイ湖をバックに走るD51


 この地は、今はどう変貌しているのだろうか?

 室蘭線と千歳線が分離・合流する地点。当時は、数多くの列車が行き交っていた。

 今だったらとても出来ないが、上り千歳線脇に陣取って離れて走る下りの千歳線を列車を撮っていた。真下には室蘭線が走っている場所だ。

 1ヶ所で4方向の列車が撮れるとてもラクチンな撮影地だった。
 とにかく列車本数が多くて2~3時間もいると、

 「あっ、またデゴイチか、フィルムがもったいないからイイや」

 と簡単にパスしていた。
 
 なんと罰当たりな態度だったのだろうと反省している。

 一期一会。

 そして来るものはほぼ撮る。という態度が、今の私の撮影スタイルを確立したのだと思っている。

 1972.8.21 千歳線 苫小牧-植苗

大井川へ来た当初のC11 227


 北海道で別れてから約4年後。

 大井川鉄道で再会をはたしたC11 227。

 いろいろとその後あったのでしょうか。なんとなく姿が違っています。
 同じ方向から撮ったものがありましたので、お時間が許す方は見比べて、その違いを見つけてみて下さい。

 えー、残念ながら、正解者にも景品はありません(爆)。

 すみませんです。<(_ _)>

 1976.5.1 大井川鉄道 千頭駅

国鉄時代のC11 227


 支線がないのに本線と名がつく北海道の日高本線。

 C11が見たくて日高本線へ入ってみた。
 終点様似の先はあの襟裳岬。さすがにそこまでは行ける余裕があるはずもなく残念ながら終点の駅止まりだった。
 あまり明確な記憶がないが、どうも当時は路線乗り潰しもやっていたらしい。

 できる限り機関区にはおじゃまして、佇んでいる蒸気をとることも行動パターン1つだった。
 で、当然ながら静内機関区(苫小牧区の支区だったのかもしれない)へ。


 その後、大井川鉄道で再会した。
 感激の再会だったと思いきや、撮ったことをすっかり忘れていた。撮ってあったことに気がついたのは、かなり後になってからだった。(ああ、なんというお粗末)

 1972.8.22 静内
 

#81_椿


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   こちらも、あわせて宜しくお願いいたします。

 撮影:2009.12.20 柿生-鶴川

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D52 414+客レ



 北海道の地で活躍していた力持ちのD52ですが、客車を引くこともありました。

 片手で済む客車数では、どうみてもオーバースペックです。

 「たまには、こんな楽な仕事もいいサ」とばかりの仕事ぶりでした。

 昔のことで撮影駅は失念(多分、どこかに記録が残っているハズなんですが)。
 車内からのは途中駅で給水中の時のもの。

 ロクに寝ていない夜行列車で疲れいたのか、窓を開けたままウトウト寝てしまいました。降りてから髪の毛をパラパラすると、石炭煤(微粉)がザラザラと落ちてきました。

 う~ん、さすが蒸気機関車。

 1972.8.25

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